舌が錆び付くその前に…
昨日の定休日、気鋭の酒販店が開いた秋酒の商談会に参加してきました。そこで会ったのが銀座で
「佳肴 みを木」を営む女将の渡辺愛ちゃん。彼女は広告関係の仕事を辞め、都内の銘酒居酒屋数店で
修業を積んだ後、念願の自分のお店を花の銀座で開いた苦労人。といっても、心から日本酒を愛し、
時にはその愛に溺れるかのように男勝りの飲みっぷりを見せる「男前女子」でもあります。
その酒歴はもちろん、マスコミ業界からの転身組という共通点もあり、私の戦友のような存在です。
その愛ちゃんに、昨日はお店のスタッフ2人も同行していました。1人は20代の元気女子、
もう1人は都内のホテルの日本酒バーから引き抜いた(?)30代の男性です。ちなみに失礼ながら
年齢を明かすと愛ちゃんは40代です。3人でワイワイと様々なお酒を試飲している側で感想を聞いて
いると、けっこう好みが分かれている様子。愛ちゃんいわく「そうなのよ。年齢によってお酒の
評価がバラバラなの。えっ、こんなのというお酒に20代の子がはまったりね。もしかしたら
私たちの舌はもう古いのかもしれないわね」。
たしかに我々の時代と違って、今はお酒を飲み始めるその時から歴史上最高のクオリティーと
言われる日本酒がキラ星のように輝いている時代。美術品の鑑賞眼も舌の味覚もホンモノに
沢山触れることで磨かれると言われますが、そういう意味では日本酒の美味しさに目覚めるのに
今ほどいい条件が揃っている時代はないでしょう。我々のように変なトラウマや偏見がない分、
若い人たちの日本酒観や飲み方に教えられることもしばしばです。
思えば、私が本当に美味しい日本酒に出合うまでには随分と遠回りしました。名にしおう
飲ん兵衛大国の秋田県に生まれましたから、小さい頃から身近に日本酒は溢れていました。
宴会の片付けを手伝うふりをして、残ったお酒をこっそり舐めてみたこともありましたが、
何やらべたべたと甘ったるい味がして「こんなのどこが美味しいんだろう」と思ったものです。
盗み飲みが過ぎていい調子になり、座敷の障子を破って回って大目玉を食らったことはご愛嬌
ということで…。
貧乏学生の頃は、徳利1本100円などという得体の知れない安酒を飲んで 猛烈な二日酔いに何度も
頭を抱えましたし、社会人になって最初の頃は、会社近くのスナックに安いウイスキーのボトルを
入れて毎日のようにツケで飲んでいました(給料日やボーナスの支給日にはスナックのママの
取り立てで、給料袋が半分以下にやせてしまってましたが、これもご愛嬌ということで…)。
ちなみにこの会社で最初に仕えた編集長の口癖が「若いうちから貯金するヤツはろくな編集者
になれない」というもので、私はその教えを忠実に守っていたわけです。しかし、その後にこの
編集長が数千万円の借金を抱えて自殺したのを機に、ツケで飲むのは一切止めました。
少し話が脱線してしまいましたが、私が本当に旨い日本酒に出合ったのは20代も後半になって
のこと、今はなき池袋の小さな居酒屋に通い始めてからです。カメラマンのマスターが営むこの店は
料理もお酒も全ておまかせ。好みや酔い具合に合わせてマスターが注いでくれるお酒は、それまで
聞いたこともない地方の地酒ばかりでした。米の旨味がトロトロに溶け込んだもの、フレッシュな
果実味を感じさせるもの、華やかな香りがプーンと立ち上がるもの…。そうした未知の味わいに
はまり、ほぼ毎日のっように通い詰めてました。同じようにこの店で日本酒に開眼した常連客が
たくさんいて、蜜にたかる蜂のような連中が連日連夜集っていたものです。
この店の常連と一緒に蔵巡りをしたり、近場の酒蔵で蔵仕事を手伝ったりしながら、酒造りの
プロセスや苦労を知ってますます日本酒にのめり込んでいきました。その後、店名の由来となった
京都の「酔香」で、蔵で汲んだばかりの無濾過生原酒の鮮烈な旨さに出合い、当時ポツポツと
出来始めていた日本酒バーで燗酒や熟成酒の魅力にも目覚めました。
こうして自分の酒歴を振り返ってみると、日本酒との出合いの場を与えてくれた飲食店の存在が
いかに大きかったかがわかります。自らの舌のフィルターを通しながらも、蔵元や酒販店から発信
される情報を的確にお客様に伝え、その魅力に気付いていただく。酒屋万流であると同時に飲み手も
万流。いびつなこだわりや偏見を捨て虚心坦懐でお酒を提供できるか。加齢に伴って舌が錆びて
いくとしたら、より若い舌の声に耳を傾けていこうと思っています。
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