日本酒の「辛口信仰」にもの申す
日本酒バーを始めて1年半、様々なお客様のご意見をお聞きしていると、改めて日本酒の
魅力を理解してもらうのは難しいことなんだなと感じています。
まず多いのは、日本酒に対する誤解や偏見です。「悪酔いする」「息が臭くなる」「糖尿病になる」
「添加物が多い」などなど。かつて糖類や調味料などをばんばん添加した三増酒が幅を利かせて
いた頃にこうした悪印象が定着したのでしょう。かくいう私も、学生時代に安酒場でお銚子
1本100円といった怪しげな酒を飲んでひどい二日酔いになったことが何度もあるので、悪評の
理由が分からないでもありません。
しかし今は、純米酒を中心として真面目に丁寧に醸された日本酒が増え、当店で扱っている
お酒もそうしたお酒ばかりです。 ところが、私のように過去のトラウマを抱え込んでいたり、
自分じゃなくても家族に大酒飲みがいて体を壊したりといったトラブルを経験した人たちは、
まず記憶の中の黒いベールをはがすところから始めないと、日本酒を飲む気になれないようです。
ちなみに私の父は、毎日晩酌で1升半を飲み干すほどの飲ん兵衛でしたが、手酌で泰然と飲み続ける
姿に「日本酒ってそんなに美味しいものなんだろうか」と、幼い頃から興味を募らせていました。
それが高じて自分で飲み屋まで始めてしまったのですが(笑)。それはともかく、世界全体で見ても
親父世代が飲んでいた酒を次の世代は飲まない傾向にあるようです。フランスではワインの国内消費が
減少していますし、ドイツのビール、英国のウィスキー、ロシアのウオッカなども同様です。
したがって国内の減少分を輸出で補うしかないと、これらの酒類は積極的に海外への売り込みを
図っているわけです。
最近は日本酒も海外進出が盛んになってきていますが、一方で肝心の日本人に日本酒の魅力を再認識
してもらわなくてはもったいない話です。そこでもう1つ気になるのが日本酒の「辛口信仰」です。
「お酒をおまかせで出して」とリクエストされるお客様に好みを聞くと、7割方が「辛口で」と
答えます。この「辛口」がくせ者なのです。一般的に日本酒の甘辛度は裏ラベルなどに記載
されている「日本酒度」で表します。プラスの数値が大きいほど辛口で、マイナスが大きいほど
甘口になりますが、これはあくまで分析器で計った数値で、人間の舌はそう単純ではありません。
アルコール度数や酸度、アミノ酸など旨味成分の多寡などによっても甘辛の印象は随分変わります。
新潟酒系の「淡麗辛口」をお出しして反応がイマイチのお客様に、一般的にはやや甘口の範疇に入る
お酒を出して「うん、これだよ」と喜んでいただくことも少なくありません。正直なところ当店には
数字的に強い辛口のお酒はあまり置いていません。自分自身が米の旨味をしっかりと引き出した
芳醇な旨口タイプが好きだからです。
ですが、辛口好きとおっしゃるお客様にあえてこうしたお酒を出して「美味しいね」と言われるのは、
やはり冒頭で書いた糖類を添加した甘ダレする昔の日本酒のバッドイメージが つきまとっている
からでしょう。こぼれたお酒で手がベタベタになった経験は多くの方にあるはずです。また、
私の親父世代のように 平気で1升以上飲むような人にとっては、すっきりした辛口酒でないと
途中で飲み飽きますし、料理の味も邪魔してしまいます。このように「辛口信仰」にも日本酒の
過去の亡霊がつきまとっているのではないでしょうか。
先日、九州の40の酒蔵が集まり完全ブラインドによって人気ランキングを付けるイベントに参加して
来ました。トーナメント方式の決勝に残ったお酒はいずれも「芳醇旨口」系ばかり。中でも2位に
入ったお酒は日本酒度がマイナス15度という超甘口でした。これは私の好みというより、140人
近くの参加者が料理を食べながら旨いと思ったお酒に投票する方式だったため、一定の人気傾向を
導き出すことは可能でしょう。
誤解のないようにしていただきたいのは、私は決して辛口酒を否定しているわけではありません。
じっくりと完全発酵させたお酒はしっかりとした米の旨味が感じられる辛口酒になりますし、
軟水・硬水といった仕込み水の違いによる蔵の個性としての辛口酒も好ましいものです。
お燗酒でじっくり料理を楽しみたい時は、きりっとした辛口の方が盃が重なります。
甘辛いずれも日本酒黄金時代と言われる今しか味わえないお酒なのです。だからこそかつての
トラウマを払拭できない方がいるようでしたら、先入観による“飲まず嫌い”を捨てて、まずは
一口味わっていただきたい。これから日本酒がさらに美味しく感じられる季節を迎えるからこその
老婆心をもって、店で皆様をお迎えしたいと思います。
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